【 原点の福知山線界隈 】

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【 宝塚駅を発車するキハ82 1004Dレ上り新大阪行き特急「やくも」 】

福知山線は併走する阪急宝塚線に近代化という点で大きく遅れをとっていた。とはいえ「やくも」「まつかぜ」や「おき」など多くの特急、急行が行き交い山陰地方と関西圏をむすぶ重要な幹線でもあった。 舞鶴までの軍用路線として京都から舞鶴を目指した京都鉄道、現在の山陰本線と競いつつ阪鶴鉄道により開通したのは1899年(明治32年)のことだった。この写真の頃はまだ運転室は二人乗務で 運転助手が控える。国鉄合理化により労働強化として反発する組合をおさえ基本的に総ての列車で現在に至る一人乗務となったのはこの後暫く経ってからのことである。
(宝塚駅 1968年 9月 撮影:T.S/解説:T.S)

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