【 阪急電車回顧・万博のころ 】

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【 550形553 】

1500V昇圧化を控えた箕面線で最後の勇姿をみせる553。大都市大阪梅田から30分の立地にも拘わらず長閑な田園風景が広がっていた。 小林一三による鉄道経営の安定化策として宝塚線とともに沿線の宅地開発が進み、日本初の鉄道会社による宅地分譲が池田室町住宅として開発 されたのを皮切りにベットタウン化が進んだ。今では多くの鉄道会社が沿線開発を経営策として利用客を増加させ安定経営を計っているが、 阪急創業者の先駆的発想が現代日本に大きな影響を与えたと言えよう。
(1969年7月17日 箕面線・牧落〜箕面・撮影:K.W・解説:T.S)

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