オリジナルの葡萄色に運転台窓下を黄色の警戒色で統一された当時の可部線に集結した省線時代の木造電車モハ30系こと11系電車群。呉線から蒸機が消えた翌年、可部線を訪問した。この頃でさえ、ここより奥のDC区間の列車本数は極端に少なく三段峡まで足を延ばすことを断念している。首都圏での旧型国電は都内こそ鮮やかな101,103系に完全置換えされていたが、南武線や横浜線では73系がまだまだ活躍していた頃だった。通学通勤途中の車窓から眺めていた葡萄色だけの東神奈川電車区に緑や黄色が混じり始めたのはいつ頃からだったろうか… |
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