藁塚が残る田圃を横目にC57が牽く鈍行上り列車が終着姫路まであと一息、京口駅を後にする。あと1ヶ月もすれば田起こしが始まろうかという田圃もまだ閑散として静かだ。 この頃から田起こしから脱穀まで、その殆どが機械化されはじめ農作業の風景も一変して今では稲藁を天日で干す風景を見掛けることはない。稲藁干しの田園のなかを走る蒸気機関車は 昭和日本の原風景だったのかも知れない。農業の担い手がなくやむなく荒れ放題の耕作放棄地も目立つ昨今では今後の農政が問われるところだが目先小手先の対策ばかりが目立ち 大いに疑問が残る。 |
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